ピンクうさぎ、かめに負ける

雑記帳。ご興味に合いましたらいらしてください。

世界に知られる秋田犬

最近、日本が由来の犬種である秋田犬がニュースに取り上げられた。

フィギュアスケートザギトワ選手が2018平昌オリンピックでの優勝のプレゼントとして秋田犬を希望したというニュースだ。私はニュースに取り上げられるようになるまで、秋田犬をAkita-Kenではなく、Akita-Inuと読むということを知らなかった。

秋田犬の正しい読み方も知らなかったけれども、秋田犬の見分け方もわからなかった。なんとなく、柴犬にそっくりだけどちょっと体格が良いのが秋田犬なのかなと思ってるぐらいだったので、ニュースでフィギュアスケートザギトワ選手が秋田犬という犬種を指定してほしがっているというのは、ずいぶんマニアックできみょうな感じがした。

秋田犬はやや大型犬に分類される体格で東北地方の狩猟に使われるために交配された犬で、なかなか都内でペットとして出会うことが少ない犬種かもしれない。しかし、忠義の物語としての「忠犬ハチ公物語」は日本ではよく知られており、この物語の主人公として知られているハチ公は秋田犬なのである。

渋谷に建てられたハチ公銅像は、そのシルエットがすっきりしているイメージがあるので思い浮かべにくいと思うが、忠犬ハチ公は秋田犬なのである。

 

約束の犬としてのハチ
HACHI 約束の犬(字幕版)
 

 帰らぬ人となった主人を駅前で待つ姿が人々に感銘を与え、新聞記事が書かれ、銅像が建てられ、物語が書かれたが、今世紀2009年にはとうとうラッセ・ハルストレム監督のもとでアメリカでも映画が作られた。「HACHI 約束の犬(Hachi: A Dog's Tale)」がそれである。

この映画では舞台背景や、ハチの飼い主の職業、家庭環境など細かいところは設定が違ってはいるが、だいたいの大筋としてハチ公物語を踏襲してストーリーが構成されている。リチャードギアの演じるハチの飼い主パーカー(Parker Willson)は音楽家であり教授でもある。彼の奏でるシンプルでやさしいピアノのメロディーに包まれてHACHIの物語はすすんでいく。パーカーにはケン(Ken)という(もしかして、犬のけんからネーミング?(笑))日本人の友人がおり、夜の駅で出会ったハチの名前の由来と秋田犬のルーツを知る。

 -ハチの名には、縁起のよい数字の8の意味と"天に昇って地におりる”という意味も持つこと。

 -秋田犬は人を喜ばせることに関心がなく、自分にとって意味のない行動はしない性質だということ。

 

ハチとパーカーの出会いはお互いを選んで出会った運命であるとケンは預言する。

ハチからの視界

映画の中では時々、モノクロのシーンが出てくる。それはハチの視界から見たシーンだ。ハチからの視界のシーンをモノクロにしたのは独特だが、これには眼科学のニーツ博士夫妻が1989年発表した犬の視界の研究結果が反映されているのかもしれない。この研究では犬が識別できる色は、黄色と青とグレーであると発表している。

http://thebark.com/content/how-dogs-are-helping-researchers-cure-color-blindness

 

映画の中ではハチから見たまわりの世界が見える。ハチから見たとき、はじめて招き入れられた飼い主パーカーの家は不思議なものだらけだし、ボールを投げるまわりの人は奇妙な行動をしているようにに見えている。

 

 ハチはパーカーと暮らしていく中で、パーカーの喜びが家族との温かいつながりであることを見ていく。娘の結婚、妊娠、妻とのやりとりなど。

ハチはまちがいなくパーカーを好きである、それは出勤するパーカーを駅まで追いかけて行くことからもわかる。ハチはとにかくパーカーの目の届くところにいることがパーカーとの親愛を示すことだと思っている。パーカーの投げるボールをとってくることにはあまりその意味を見いだせていないようだ。だからこそハチは自分の飼い主への思いを伝える行動として、飼い主の帰宅の時間に駅で待っている。

 

ボールはハチからパーカーへ

パーカーは何度もハチに投げたボールをとってこさせようとしたが、成功することはなかった。パーカーにとってはボールで上手に遊ぶことでがハチとの親睦を深められると思っていたのだが、ハチにとってはそうではなかったので二人のキャッチボールが出来なかったのだ。

別れが訪れるのを悟った朝に、ハチはパーカーを出かけさせまいとボールを持ちだした。パーカーとハチの飼い主と犬らしい最後のキャッチボールは、犬のハチからよびかけたものだ。二人の最後のキャッチボールができたのは、ハチもパーカーと家族のようなつながりを持ちたいという思いを表現したいと思ったからだ。

映画「HACHI」の中ではハチ自身の主観をあらわすシーンが何度か出てくる。モノクロのシーンで表現されるハチの見ている風景、そしてそれまで応じることがなかったキャッチボールを促すためにボールを持ち出す行動などだ。この映画の中ではハチを、忠義をつくす犬としてだけ描くのではなくて、ハチがパーカーに寄せる思いの部分も描写している。そのために、帰らぬ主人を待つハチのシーンを観ていると、飼い主の死を理解できずに帰りを待つ実らぬ忠義の悲哀よりも、パーカーの死を理解できないためにパーカーと会えない悲しさがつのるハチの心中に心を揺さぶられるのだ。

 

秋田犬というイメージに多大に影響を与えたのでは

この映画一つで世界中で何百種といる犬の一種である秋田犬に、一つのイメージを与えたことになったのは間違いないと思う。

犬ではありながらペットとして飼い主を喜ばすことには関心を持たないが、ハチ公物語のハチのように飼い主を信愛したときには、その賢さと誠実さを発露することをいとわない姿は多くの人の共感を得るのだと思う。

秋田犬がそのような忠義を持つというイメージをを描きだしたこの映画が世界規模で公開されたことで、世界中の犬愛好家から秋田犬を求められるようになったのはとても素敵なことだと思う。